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 今回は、ハーレーダビッドソンのカスタムメイド店を営むクワイケイイチさんのお話です。ロックバンドのボーカルとして音楽活動に熱中した10代~30代半ば。35歳のとき、ハーレーのドイツ製パーツの輸入代理店から始め、カスタム工場ともいえる店舗を作りました。【バックナンバはこちら】



ハーレーダビッドソンのカスタムメイドを行う店

 神奈川県・川崎市にあるハーレーダビッドソンのカスタムメイド専門店「BAD LAND」。さまざまな工作機械が置かれた工房のような店内には、バイクの外装デザインやパーツのカスタムメイドを希望するお客様のハーレーダビッドソン12台が並んでいた。ヨーロッパ製のパーツをメインに取り扱い、金属加工、メカニックの技術を持つ職人達が部品の加工を行う。

 アメリカで生まれたハーレーダビッドソン。日本のハーレーファンにはアメリカからの輸入部品を好む人も多いが、店主のクワイケイイチさんはヨーロッパ、主にドイツ製のパーツに惚れ込んでいる。

 「アメリカのパーツの多くは、台湾製。僕がハーレーに乗り始めた頃、“台湾ジャンク”という言い方がありました。コストを抑えて製造された製品の精度は低く、壊れたり、折れたり。店で二次加工しないと、取付けられないものがあった。それに対し、工業製品に厳しい安全規格TUV(テュフ)が定められているドイツ製品は、少し高いけれど、作り込みが細かくて高品質です」

35歳まで音楽活動に熱中 「トラックの運転で食っていました」

 1964年生まれのクワイさんは、小学6年生の時、友人からビートルズのカセットテープを借りてロックンロールのとりこになり、レッド・ツェッペリン、ジャニス・ジョップリンなど、ブルースに根ざしたロックを聴いた。自然とロックバンドを組み、ボーカリストに。学校卒業後も、ミキサー機でパート別に録音してテープを作り、ライブハウスを回っていた。

 音楽活動を続けながら、22歳の時、トラックの運転手になった。「食っていくため、トラックに乗りました。“自分勝手”と“自由”は違うと思っていて、ちゃんと稼ぎながら、音楽をやりたかった。トラックの運転席で曲を覚え、ずっと歌の練習をしていました」

 アルバイトから始め、多くの仲間と同じように、自分のトラックを購入して荷物配送の個人契約を結んだ。その頃の1日のスケジュールは、東京の自宅を朝6時に出て、東名高速に乗って御殿場まで行き、昼2~4時に帰宅、それから夜8時までバンドの練習という感じ。「命を懸け、1日8時間は歌の練習に費やしていました」。それから35歳までずっと音楽漬けの毎日だった。

 ハーレーダビッドソンを知ったのは、23歳の時出会ったバンドメンバーがハーレーに乗っていたから。「それまで僕は音楽のことしか知らなくて、ハーレーを初めて見た時も正直ピンときませんでした。そいつが乗っていたショベルヘッドが、頻繁にぶっ壊れるハーレーでね。ハーレーが故障すると、練習にも来ないんですよ。『なんでトラブルを起すバイクを買うんだ、いい加減にしろ!』 という感じでした」

 ところがある日、心境は一転、ハーレーダビッドソンのとりこになった。「ハーレーに、反逆精神というか、ロックンロールの魂を感じたのです」(次ページへ続く)





著者プロフィール
滝岡 幸子(タキオカ サチコ)

経営コンサルタント・中小企業診断士、有限会社ポテンシャル 代表取締役、『ひとり起業塾』主宰。
大手外資系コンサルティング会社を経て独立。中小企業向けの経営コンサルティング業務を中心に、新規事業開発、企業研修、講演、各種メディアでの執筆連載など多方面で活躍中。小資本、低リスクで身軽に起業するノウハウを伝える「ひとり起業塾」を主宰。著書に『図解 ひとりではじめる起業・独立』(翔泳社)、『はじめよう!移動販売』(同文舘出版)がある。






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