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 お笑い芸人は、芸のとおりちゃらんぽらん? いえいえ、苦労しています。話題のお笑い芸人が、挫折、苦悩、将来への不安など、自らの半生を語ります。今回ついに、小島よしおが登場! 「そんなの関係ねぇ!」でブレイクするまでを語ります。【バックナンバーはこちら】



 海パン一丁で「そんなの関係ねぇ! そんなの関係ねぇ!」を繰り返すギャグで、大ブレイクを果たした小島よしお。彼に5人組のコントグループだった過去があることをご存知だろうか?

 また「一発屋芸人」「今年消えそうな芸人」とささやかれ続ける彼のメンタル面の維持のしかたとは? うまくいかないときの切り替え方法とは?

 芸能界での自分の位置づけを冷静に語る小島よしおの姿を見てほしい。

不況なんて「そんなの関係ねぇ!」 小島よしお登場!

――子どものころは、どんなお子さんでしたか?

 目立ちたがり屋でしたね。小学生のときに、帰りの会でコントをやってみたり。小1から高3まで野球をやっていたんですが、その合宿なんかでもコントをやったりして、人を笑わせるのが好きでしたね。

 でも、そのころの夢はプロ野球選手になることでした。12年間やってましたからね、野球は。

――芸人を目指すようになった経緯は?

 僕は早稲田大学の出身なんですが、所属していた早稲田のお笑いサークルが芸能事務所にスカウトされて、それからですね。それまでは、ぼんやりと芸能人になりたいなとは思っていて、でも芸人というわけではなく、俳優のオーディションなどに行っていました。

 お笑いサークルに入ったきっかけは、ある新歓コンパに誘われて、その人がお笑いサークルもかけもちしていて、見に行ったら、すごくおもしろかったんですよね。でも、その誘ってくれた人は後悔しているそうで。僕がお調子者でイタイやつだったから。サークルの活動としては、校内でライブばかりをやっていましたね。

――デビューまでの道のりは?

 WAGEという5人組のコントグループでデビューするんですが、きっかけとしては、学園祭でやったお笑いサークルのステージでスカウトされました。サークル内では、コントによってグループを組んでいたので、決まったコンビなどというのはありませんでした。それで、スカウトされたときに、20人いる部員のうち、5人しかデビューできないってなって。そりゃあみんなプロの道に行きたいですよね。でも5人にしぼらなきゃいけない。そこで、みんなで名札を作って並べてみたり、5人並んで立って、いいバランスかどうかを考えたりして、だれを選抜するか話し合いました。

 当時、僕はまだ発言権のない1年生。でも、遠まわしに、自分が入っていない組のときは「華がないなぁ」とかけなして、自分が入ったときは「これいいんじゃないか」っていったりして(笑)(次ページへ続く)


 
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INDEX
ネタが書けなくても「そんなの関係ねぇ!」 小島よしお、ブレイクまでの苦節を語る【前編】
不況なんて「そんなの関係ねぇ!」 小島よしお登場!

ピン芸人になって、はじめて直面するネタ作りの壁




著者プロフィール
大川内 麻里(オオカワウチ マリ)

1977年、福岡県生まれ。出版社勤務、編集プロダクション起業を経て、フリーランスのライター/編集者。

経営者の父を持つことから、幼いころよりビジネス書に慣れ親しみ、現在は年300冊以上を読む。『夢を実現した わたしの仕事 わたしの方法』(ダイヤモンド社)では、キャリア女性50人をインタビューし、働き方・生き方に迫った。

ビジネスバイブル3冊は『仕事で本当に大切にしたいこと』大竹美喜、『戦わない経営』浜口隆則(ともにかんき出版)、『プロフェッショナルの条件』P.F.ドラッカー(ダイヤモンド社)。

オフィシャルブログ http://okawauchimari.net/






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