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 お笑い芸人は、芸のとおりちゃらんぽらん? いえいえ、苦労しています。話題のお笑い芸人が、挫折、苦悩、将来への不安など、自らの半生を語ります。「ごめんねごめんね~」のU字工事の後編は、ほかのコンビがマネできない「栃木漫才」にたどり着いた経緯を聞きます。【バックナンバーはこちら】



「栃木漫才」にしぼってみたら、その年すぐにM-1決勝進出

――それから、栃木漫才に行き着くまでは?

益子 栃木に特化した漫才をやるようになったのは、2008年ですね。それまでは、ずっと栃木弁で軽トラックがどうのとか牛がどうの、田舎のラーメン屋がどうのっていう田舎者漫才をやっていました。でも長年やっていて、らちがあかないので、栃木のかんぴょうだ餃子だって、栃木だけのネタにしぼりました。

福田 それまでは、「僕たち、栃木出身なんですけれども」ってつかみだけでしたからね。でも、いざ栃木漫才にしぼってみたら、すぐにその年にM-1の決勝に進出できて。

益子 M-1グランプリは2001年の初年度から出ています。1年目は1回戦敗退、2年目は2回戦敗退、それから5年連続で準決勝に進出して、おととし決勝進出、去年はまた準決勝敗退ですね。

写真左(緑のTシャツ)が福田薫、右が益子卓郎

――M-1の決勝に進出できたときの気持ちは?

福田 緊張と喜びが交錯していましたね。

益子 でも、出られてよかったです。

福田 幅広い田舎ネタから、栃木の濃いネタをやるようになったのは、お世話になっているプロデューサーの方からのアドバイスがきっかけでした。それで、M-1の決勝に行けたので、人に恵まれていますよね。ありがたいです。まわりのアドバイスで勉強させてもらっています。

――前年のサンドウィッチマンさんの優勝は刺激になったのでは?

福田 僕たちもがんばればいけるんじゃないかって思えました。サンドウィッチマンさんとは、いっしょにトークライブをやっていたんですが、話す次元が違ってしまったので、焦りもありましたね。努力しなきゃって。それで、僕たちも決勝を目指すようになって、翌年出られたのは奇跡ですよね。(次ページへ続く)


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「ごめんねごめんね~」U字工事登場!【後編】 誰にもマネできない「栃木漫才」で唯一無二の存在に
「栃木漫才」にしぼってみたら、その年すぐにM-1決勝進出

ブレイク元年、この1年を振り返って

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著者プロフィール
大川内 麻里(オオカワウチ マリ)

1977年、福岡県生まれ。出版社勤務、編集プロダクション起業を経て、フリーランスのライター/編集者。

経営者の父を持つことから、幼いころよりビジネス書に慣れ親しみ、現在は年300冊以上を読む。『夢を実現した わたしの仕事 わたしの方法』(ダイヤモンド社)では、キャリア女性50人をインタビューし、働き方・生き方に迫った。

ビジネスバイブル3冊は『仕事で本当に大切にしたいこと』大竹美喜、『戦わない経営』浜口隆則(ともにかんき出版)、『プロフェッショナルの条件』P.F.ドラッカー(ダイヤモンド社)。

オフィシャルブログ http://okawauchimari.net/






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