ヤホー漫才でブレイク! ナイツ登場!!
「みなさんに支持されている転職サイトをインターネットのヤホーで調べたんですけれど、CARRERzineって知ってますか?」
2008年のM-1グランプリで640点という最高得点をたたき出し、最終決戦にコマを進めるも、NON STYLEとオードリーに、一歩及ばず、3位に甘んじたナイツ。

しかし、以来、人気はうなぎのぼり。ボケの塙宣之が、インターネットのヤホー(Yahoo!)で調べてきた有名人などの話を、ちょこちょこと言い間違えながら、否、言い間違えの連打をしながら、相方の土屋伸之がツッコんでいくという、ヤホー漫才で、一気に火がついた。M-1グランプリ時に語ったところによると、4分間のネタに37個ほどボケを入れたとか。とにかく、笑いの手数が半端じゃないのである。
浅草に活動拠点を置き、寄席に年500回以上出演するという、ほかのコンビの活動や歩んできた道のりとはひと味違った、彼らの出自とは? ヤホー漫才にたどり着くまでの道のり、そして、今後の展望とは?
いま一番アツい芸人・ナイツの過去、現在、そして未来に迫った。
大学の落研で出会い、コンビを結成
――子どものころは、どんなお子さんでしたか?
塙 僕は昭和53年の3月生まれなんですが、早生まれだったせいか、テストなんかも、小学校2年生くらいまで、みんなについていけなくて。なにをするにも自信がなかったですね。
土屋 僕はかわいい子どもでしたね。子どものころが、僕の人生で一番のピーク。「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(現テレビ朝日系列)の最終オーディションまで残って、見栄晴さんの弟に決まりそうになったときに、番組が終了してしまいましたね。もう近所の大人たちが、みんな僕をあやしにくるんで、付き合って愛想笑いしていたらぜんそくになってしまったというくらい、みんなにかわいがられる子どもでした。
塙 僕は、中学ではバレー部、高校では帰宅部になって。
土屋 僕は中学から高校までテニスをやっていました。
――お2人の出会いは?
塙 大学の落研(落語研究会)で一緒になって、2000年にコンビを結成しました。(次ページへ続く)



