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 スポーツの世界で輝きを放ったアスリートたちのなかにも、引退後はその世界から離れて“第2の人生”を選択する者は少なくない。彼らはいかにして己の次なる人生を決断し、歩んでいるのか。

 第4回は、冬季パラリンピックのアルペンスキーで日本初の金メダリストとなった大日方邦子。大日方は1998年の長野パラリンピックで金メダルを含む3個のメダルを獲得したことを皮切りに、今年2月に行われたバンクーバー大会まで4大会連続でメダルを獲得。金2、銀3、銅5と計10個のメダルを手にし、後進に道を譲るために今年9月、ナショナルチームからの引退を発表した。引き続き国内の大会には出場するものの、セカンドキャリアとして障害者スポーツを含めたスポーツ振興に努め、電通パブリックリレーションズでスポーツビジネス、ソーシャルビジネスのコンサルタント活動に力を入れていく意向を示している。



貯金をはたいてスキー用具を購入 アルバイトをしてスキー場に通う

――中央大学法学部法律学科に進学して、大日方さんには将来の夢があったようですが。

「はい。弁護士になりたいと思っていたので。勉強もスキーも本格的にやるつもりでした。それを両親に相談したら大反対されまして…。というのも、趣味ならスキー用具を借りればいいのですが、競技となると自分のものを用意しなくてはなりません。そのため、コツコツ溜めていた貯金を全部はたいて、チェアスキーの用具を買ったんです。本当に高い買い物でした(笑)」

――スキー場に行くのもお金がかかってしまいます。

「大学1、2年のときは塾講師や家庭教師のアルバイトをして、すべてスキーにつぎ込んでいました。アルバイト代は比較的良かったんですが、雇ってもらうのに苦労しました。冬の受験シーズンにはスキー場ですから、難しいですよね(笑)。

奨学金をいただいて、不足分に充てていました。古くなったスキー板を譲っていただいたり、スキー場まで車で送っていただいたり、周りの方に支えていただきましたね」

 長野パラリンピックに向け、わずか2シーズン目でリレハンメルに出場

――本格的に取り組むようになって、チェアスキーに対する印象は変わりましたか?

「スキー場の練習場所に連れてっていただいたとき、はじめて自分が恐ろしいものに手を出したことに気がつきました。今までは緩やかな斜面で滑っていたのが、競技になると驚くほど急斜面で。『本当にここを滑るの?』という恐怖心に似た感覚でした。

はじめて滑ったときは、滑っているのか、転んで滑落しているのか、よくわからなかったですね。コーチがとても厳しい方で、声もかけてくれませんでした。たとえば、『今の滑りはどうでした?』と、抽象的に尋ねるのは許されません。『自分の滑りがどうだったか、わからないヤツは選手じゃない』と返される。具体的な質問をしなければ、欲しいアドバイスがもらえなかったんです。けれど、そのコーチに鍛えられることで、段々と滑ることができるようになりました」

――競技として本格的に取り組んでからわずか2シーズン目で、1994年のリレハンメルパラリンピックに出場することになります。

「次に開催される長野パラリンピックに向けて、若い選手を育てるという方針があったようでした。実績はなくとも、強化選手として国際大会に放り込んで鍛えるという。ラッキーなことに、私がその対象に選ばれました。女子は私1人でしたが、男子は2人とも途中でやめてしまうほど、厳しい環境に置かれました。

当時、私は国内では三番手ぐらいの選手で、トップの選手とは相当なタイム差がありました。はじめはパラリンピックが楽しみで仕方なかったのが、次第にプレッシャーに変わっていきました。壮行会で『日本代表の誇り』なんて言葉が出ると、『えっ、私、代表なんだっけ』と思うくらい、現実としてとらえられない自分がいました。あんなにプレッシャーを感じたのは、人生ではじめてのことです。

プレッシャーを乗り越えるためにも、やれることはすべてやっておこうと、むちゃくちゃなトレーニングをしていましたね。オフを入れずに毎日筋トレ、筋肉が動かなくなっても、痛みをこらえながら続ける、とか。今考えると、なんて無茶なことをしていたんだろうと思います」(次ページへ続く)


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INDEX
パラリンピックアスリートから、電通PRのコンサルタントに転身 チェアスキーヤー大日方邦子の第二の人生[後編]
貯金をはたいてスキー用具を購入 アルバイトをしてスキー場に通う

 長野パラリンピックに向け、わずか2シーズン目でリレハンメルに出場

リレハンメル、仕事を通じてアスリートとしても成長

 滑るべきラインが見えた長野パラリンピックでの金メダル

進化するため「二足のわらじ」が限界に NHKから電通PRに転職

 バンクーバーの転倒も強烈な思い出 セカンドキャリアも攻める





著者プロフィール
二宮 寿朗(ニノミヤ トシオ)

1972年、愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。ボクシング、格闘技、ラグビー、サッカーなどを担当。06年に退社し、文藝春秋「Number」編集部を経て独立。

著書に「闘争人~松田直樹物語」(三栄書房)がある。

現在、「Number WEB」にて「日本代表 2010年への旅」を連載中。






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