貯金をはたいてスキー用具を購入 アルバイトをしてスキー場に通う
――中央大学法学部法律学科に進学して、大日方さんには将来の夢があったようですが。

「はい。弁護士になりたいと思っていたので。勉強もスキーも本格的にやるつもりでした。それを両親に相談したら大反対されまして…。というのも、趣味ならスキー用具を借りればいいのですが、競技となると自分のものを用意しなくてはなりません。そのため、コツコツ溜めていた貯金を全部はたいて、チェアスキーの用具を買ったんです。本当に高い買い物でした(笑)」
――スキー場に行くのもお金がかかってしまいます。
「大学1、2年のときは塾講師や家庭教師のアルバイトをして、すべてスキーにつぎ込んでいました。アルバイト代は比較的良かったんですが、雇ってもらうのに苦労しました。冬の受験シーズンにはスキー場ですから、難しいですよね(笑)。
奨学金をいただいて、不足分に充てていました。古くなったスキー板を譲っていただいたり、スキー場まで車で送っていただいたり、周りの方に支えていただきましたね」
長野パラリンピックに向け、わずか2シーズン目でリレハンメルに出場
――本格的に取り組むようになって、チェアスキーに対する印象は変わりましたか?
「スキー場の練習場所に連れてっていただいたとき、はじめて自分が恐ろしいものに手を出したことに気がつきました。今までは緩やかな斜面で滑っていたのが、競技になると驚くほど急斜面で。『本当にここを滑るの?』という恐怖心に似た感覚でした。
はじめて滑ったときは、滑っているのか、転んで滑落しているのか、よくわからなかったですね。コーチがとても厳しい方で、声もかけてくれませんでした。たとえば、『今の滑りはどうでした?』と、抽象的に尋ねるのは許されません。『自分の滑りがどうだったか、わからないヤツは選手じゃない』と返される。具体的な質問をしなければ、欲しいアドバイスがもらえなかったんです。けれど、そのコーチに鍛えられることで、段々と滑ることができるようになりました」
――競技として本格的に取り組んでからわずか2シーズン目で、1994年のリレハンメルパラリンピックに出場することになります。
「次に開催される長野パラリンピックに向けて、若い選手を育てるという方針があったようでした。実績はなくとも、強化選手として国際大会に放り込んで鍛えるという。ラッキーなことに、私がその対象に選ばれました。女子は私1人でしたが、男子は2人とも途中でやめてしまうほど、厳しい環境に置かれました。
当時、私は国内では三番手ぐらいの選手で、トップの選手とは相当なタイム差がありました。はじめはパラリンピックが楽しみで仕方なかったのが、次第にプレッシャーに変わっていきました。壮行会で『日本代表の誇り』なんて言葉が出ると、『えっ、私、代表なんだっけ』と思うくらい、現実としてとらえられない自分がいました。あんなにプレッシャーを感じたのは、人生ではじめてのことです。
プレッシャーを乗り越えるためにも、やれることはすべてやっておこうと、むちゃくちゃなトレーニングをしていましたね。オフを入れずに毎日筋トレ、筋肉が動かなくなっても、痛みをこらえながら続ける、とか。今考えると、なんて無茶なことをしていたんだろうと思います」(次ページへ続く)


