手相占い、パワースポット案内で大人気! 島田秀平登場!
島田秀平。「原宿の母」直伝の手相占いが当たると注目を集め、さらに大ブームのパワースポットの知識が豊富なことで時流に乗り、テレビに雑誌に引っ張りだこの人気芸人だ。
しかし、そんな彼にも、かつてはコンビを解散し、芸能界を去ろうとまで考えた苦い経験があった。さらにいえば、今のブレイクは彼本来の「お笑い芸人として活躍したい」という本来の目標とは異なるものでもある。現在のポジションにたどり着くまでの軌跡、そして本音を聞いた。

――お笑い芸人を目指したきっかけは?
小さいころからお笑いが好きで、ダウンタウンさん世代ですしね。中学時代には、すでに、のちの相方となる同級生と一緒に落語クラブに入っていました。高校は別々だったんですが、相方の高校の学園祭に、僕、お面をかぶって出場して、優勝したんですよ。それで、完全に調子に乗っちゃって、高校卒業してすぐに上京、ホリプロに所属しました。一方で、カウンセラーにもなりたかったんですね。お笑いにしろ、占いにしろ、カウンセラーにしろ、人を元気にさせることが好きなんです。
相方と上京して、組んだコンビは「号泣」というコンビ。結成10年過ぎて、M-1グランプリに出られなくなったタイミングと、30歳という節目の年齢のタイミングが重なって、相方から「別の仕事をやっていきたい」といわれて、解散することになりました。
初対面の人と話をする場合、20代なら「何やってる人?」と聞かれる。でも、30代になると、「なにができる人?」に変わるんですよね。20代なら「芸人やってます」と答えれば、たとえ売れていなくても、「すごいね~」なんて感心されましたけど、30代になって同じことを答えても、「大丈夫なのか?!」って心配されるだけ。
いま振り返ると、20代の自分は、漫才はやっていたけれど、これといった武器がありませんでした。それじゃあマネージャーも売り出しにくいってことが、いまとなってはわかるけれど、当時はそんなこと考えられず、「とにかくおもしろいネタを作ればいい」としか考えられませんでした。
僕が30歳で「コンビ解散」という転機を迎えたとき、姉2人の人生も大きく変わるときでした。1人の姉は子どもが生まれた、もう1人の姉が離婚するかもしれないと。そんなとき、蔵から僕が高校生のころにがんで亡くなった父のノートが出てきまして。書かれていたのは、僕ら3人にあてた遺言でした。僕宛のノートには、「男にとって仕事とは」という、そのときの僕にぴったりのメッセージが書かれていました。姉たちも同様だったようで、僕ら姉弟はみな、それぞれ父から欲しかった言葉を受け取ることができたんです。不思議なものですよね。(次ページへ続く)


