このエントリーをはてなブックマークに追加




 スポーツの世界で輝きを放ったアスリートたちのなかにも、引退後はその世界から離れて“第2の人生”を選択する者は少なくない。彼らはいかにして己の次なる人生を決断し、歩んでいるのか。

 第5回はラグビーの野澤武史。「ゴリ」の愛称で親しまれたフランカーは慶応大学2年時の1999年度に慶応が創部100周年で優勝を果たしたときの主力メンバーであり、大学3年時に日本代表に初選出されるなど日本ラグビー界期待のホープとして注目を集めた。

 卒業後は名門・神戸製鋼に入団。しかし、晩年はケガに悩まされて本領を発揮できず、30歳を前にして2008~2009年シーズン限りで引退した。引退後は税務経理協会を経て、実父・伸平氏が経営する「山川出版社」で2010年11月1日から勤務。意欲的にサラリーマンの仕事に“トライ”する野澤にインタビューした。



日本代表ラガーマンが出版社の取締役に――野澤武史登場

 100kg近い体全体を使って激しくファイトした現役時代。170㎝と決して大柄ではないものの、筋肉の鎧をまとったずんぐりとした体つきで、ごりごりと力強く前に向かう野澤の姿はまさしく「ゴリラ」のようであり、愛嬌のある風貌からも「ゴリ」というニックネームがこれほどはまったアスリートは他にいなかった。

 現役を退いて1年半以上も経ち、サラリーマンぶりは板に付いていた。テキパキとした応対に、物腰の柔らかさ、屈託のない笑顔……意欲的に仕事に取り組んでいることが一瞬で伝わってくる。「筋肉はだいぶ落ちましたよ」と笑うが、スーツが張り裂けそうなぐらいのマッチョぶりは健在だった。

 野澤が勤務する山川出版社は“歴史学の山川”として有名で、日本史、世界史などの教科書、参考書を高校時代に手にした人は多いだろう。スポーツとはまったくかけ離れた世界で、野澤はどのような哲学を持って仕事に臨んでいるのだろうか。

膝のケガから次のシーズンで「やれる」自信をなくし引退を決意

――まずは引退のときのお話から。やはり膝の状態が限界だったと?

「歩くのにもひと苦労だったので、これはもう引き際なのかと思いましたね。大学3年のときに半月板を手術して、それからずっと膝のクッションがない状態でした。痛いというよりは力が入らないという感じで、階段を上がるときもガクッとなってしまっていたんです。2008年~2009年のシーズンは1試合も出ていなかったし、次のシーズンに向けて、やれるぞ、という自信もなくなっていた。全日程が終了した翌日に(神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼GMの)平尾誠ニさんに電話して、『今年で引退させていただきます』と言ったんです」

――迷いなく?

「はい。実は嫁さんと沖縄に旅行に行く際、神戸空港から電話したんです。平尾さんには1年前にも引退の気持ちを伝えていて『もう1年やってみないか』と言われていたので、そのときはもう『わかった』というような反応だったように思います。チームの編成のこともあるんで、早めに決断したほうがチームにとってもいいんで。まあ、沖縄に行ったら、もう食事に気を使うこともないなと思って、大好きな揚げ物をたらふく食べて幸せでしたね(笑)。引退して2年も経ってないんですけど、随分前のことのように感じますね」(次ページへ続く)






著者プロフィール
二宮 寿朗(ニノミヤ トシオ)

1972年、愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。ボクシング、格闘技、ラグビー、サッカーなどを担当。06年に退社し、文藝春秋「Number」編集部を経て独立。

著書に「闘争人~松田直樹物語」(三栄書房)がある。

現在、「Number WEB」にて「日本代表 2010年への旅」を連載中。






スポンサーサイト

年収1000万円へのエグゼクティブ転職
職種
業種
フリーワード

職種
フリーワード

タグクラウド



ページトップへ
ページトップへ