アメフト日本代表からキャリアカウンセラーに転身 玉ノ井康昌登場

玉ノ井は自分を「雑草」と表現する。アメフトのプレーヤーとしても、営業マンとしても“叩き上げ”で階段を上ってきた異質の存在である。
大学生になってからアメフトに出会った。当時、関東大学リーグ二部に所属した城西大学でプレーして、決して目立つ存在ではなかった。それでも卒業後にシーガルズ入団を決めて、リクルートを傘下に収めていた大手小売企業のダイエーに入社する。
しかし、順風満帆とはいかない。1990年代後半に起こるダイエーの業績悪化に伴い、彼は退社の道を選択。無職の危機にさらされながらもリクルートの営業を非正社員で一から学びながら、営業マンとしてもプレーヤーとしても高みを目指そうとしたのだ。
ビジネスをアメフトに活かし、アメフトをビジネスに活かすシナジー(相乗効果)の発想。これが玉ノ井の飛躍を生み出す力となった。営業マンとして結果を残し、アメフトで日本の誇るディフェンスバックに成長していくというストーリーを描いたのだった。
大学生から始めたアメフト はじめからディフェンスを希望
――大学生になるまで、アメフトには関心もなかったそうですね。
「そうなんです(笑)。巨人の原辰徳さんのファンだったこともあって、中学のときは野球をやってまして。ピッチャー、キャッチャー以外はいろんなポジションをやりましたよ。でも、進学した高校には硬式野球部がなくて、友達に誘われてハンドボール部に入りました。担任の先生が顧問だったので抜けられなくなって、初心者の集まりでしたけど、県(埼玉)でベスト8に入るぐらいのレベルではありました」
――何故、アメフトを。
「希望の大学に進学できなくて、(自宅から)遠いということもあって、何かしないと大学をやめちゃうかもしれないなと思っていたんです。そういうときに勧誘を受けて、ヘルメットとユニホームの姿がカッコ良かったんで、本当に軽い気持ちで入部しました。最初、ベンチプレスが40㎏上がるか上がらないかだったのが、トレーニングしたらすぐに60㎏を上げられるようになったんです」
――アメフトに没頭していくようになるのですね。
「自分に向いているスポーツだと思いました。アメフトはオフェンスとディフェンスに分けられるのですが、新入部員のほとんどが華やかなオフェンスを希望していましたが、僕はボールを奪うとかそういうほうがハンドボールでも好きだったので、ディフェンスバックを選んだんです。僕は2年の頃から試合に出るようになったのですが、一部昇格を果たせなくて、先輩たちと悔し涙を流してきました。4年のときにやっとの思いで入れ替え戦まで持ち込めたのですが、残念ながら一部昇格は果たせませんでしたね。
大学のときは、自分がうまくなることだけを考えていたように思います。自分さえうまくなれば、他のプレーヤーにいい影響を与えて、チームの勝利に貢献できるんじゃないかと思っていましたね」(次ページへ続く)



