仕事もアメフトでもステップアップ 「再就職支援」に出会う
――仕事に対する取り組みが、アメフトの取り組みにプラスに働いたことはありますか?
「ありますね。トライアンドエラーや、プランドゥシー(計画、実行、反省)というのは仕事で学んできて、これを競技でも反映させてきました。4年目からは、仕事の関係で練習時間が限られるようになってきたので、週に2回だけ夜10時のミーティングを免除してもらって、24時間営業のジムで1時間ほど個人トレーニングを積むようにしました。何を最優先すべきか、整理して考えられるようになっていきましたし、仕事から得たものは多かったですね」
――プレーヤーとしても充実した時期を迎えますよね。2002年には社会人選手権で優勝を果たし、日本代表にも選出されていくようになります。

「2002年には自分はメインでスターターとして日本一を懸けるライスボウルに出ましたけど、立命館に負けてしまった。またゼロからやり直しだと思っていた時期でもありました。でも、たまたま協会のベストイレブンに選ばれて、僕は『間違いかな』と思っていたぐらいでしたけど、『えっ、こんな位置に今の自分がいるんだ』とも気づくことができた。
代表に入って、得られるものが非常に多かったですね。他チームの選手と一緒にプレイすることで、視野が広がったり、自信も持てたりして、次のステップに進んだ感覚を持ちました」
――2003年、2007年と2大会連続でワールドカップにも出場されています。
「アメフトのワールドカップは1999年のイタリア大会が最初で、僕が出場したのは第2回と第3回大会。ここで勝つことによって、アメリカにやるじゃないかって思わせることができる。日本で行なわれた2007年の大会でようやくアメリカが初めて参加してきたんですけど、日本は負けてしまった。アメリカに勝てば、アメリカに日本を認めさせたうえで本気のアメリカを引きずり出せるチャンスだったんですけどね。」
――仕事でも変化があった時期でした。
「2002年にITのネットバブルがはじけてしまうわけです。そういう背景もあって、法人営業でアルバイト職の自分が削られてしまう対象になってしまって……。でも、『新規営業でやっていけるんじゃないか』とも思っていました。シーガルズOBにリクルートの注文住宅の部署で部長を務めている方がいたので、そこに直談判して入れてもらったんです。扱いはアルバイト職のままですが……。仕事を続けるうち、30代になった2004年にまた転機が訪れたんです」
――というのは?
「あるとき、どこかの炭鉱がつぶれてしまって、炭鉱で働く人の次の仕事を探す、というドキュメントをテレビでたまたま見たんです。自転車で町のあちこちを回って探すアウトプレースメント(再就職支援)に、ピンと感じるものがありました。体力に自信はあるし、新規営業しかやってこなかったので、その人のために力になれるんじゃないか、と。アウトプレースメント事業をしている会社はどこなのか探し始めると、リクルートの関連会社にあって、またそこに直談判しに行き、そこで雇ってもらうことができました」(次ページへ続く)



