コミュニケーション能力とか、空気を読む能力というのは、一般的には、相手の気持ちを臨機応変に読む能力だとされています。「コミュニケーション能力」というものに苦手意識を持っている人は、その「臨機応変が面倒……」という気持ちになり、敬遠しがちですが、必要最小限のコミュニケーション能力を身につけるのは、さほど難しいわけではありません。
個性派の生きにくさは「主観≠客観」にある
とかく個性派の方は、空気を読むことが苦手です。「相手がこういう場合はこうする」という場合分けについて教わったとしても、そもそも、「相手がどう思っているか」「相手が何を考えているか」について推し量ることができません。自分のモノサシで計っても、間違った結果しか導き出されないのですから……。
たとえば、あなたが、常にうどんが真っ黒になるくらいコショウを混ぜるという、すこし変わった嗜好を持っていたとします。そんなあなたが、よかれと思って、友達のうどんにコショウを大量に混ぜてしまったら怒られてしまいますよね。しかし、すしにしょうゆをつけて食べるというノーマルな嗜好の持ち主だとしたら、友達の分の小皿に醤油を垂らしてあげると感謝されることでしょう。
つまり、こういうことです。普通の感覚を持った人であれば、「主観=客観」なので、自分のしてほしいと思ったことを相手にすればいいだけで、その意味ではノーマルな感性を持った人は、「主観と客観のズレ」問題に対して、無頓着であったとしても、誰にも「空気が読めない」などと言われることはありません。一方で、個性派のように「主観≠客観」である場合は、単純な行動でも、いちいちストレスになってしまいます。
「空気読め」のめんどくささ
個性的な人にとってみれば「空気を読め」とは「普通の人の思考パターンをシミュレーションし、状況に合わせて臨機応変に行動せよ」ということに他なりません。このように考えるだけでも、「個性的な人間はとかく生きづらい……」と思ってしまいますが、実はさほど個性的でない人であっても、本質的な状況は変わりません。どこから見ても「普通の人」というのは架空の存在にすぎず、人はみな、部分的にアブノーマルなものです。自分が普通ではない領域において、「空気を読む」必要が出てきてしまうのです。
……などと書いているわたくしですが、どちらかというと、わたくしことココロ社の運営するブログは個性派に入ると思うのですが、オフラインで会った方には、「こんな頭のおかしな人間が普通に仕事してるなんて信じられない!」とか、仕事帰りにスーツでオフ会に参加したら、「サラリーマンのコスプレをしているに違いない」などと言われてしまい、実際、わたしの主観は世間の常識とかけ離れていることも多いのですが、ただ、ノーマルな人間を装って生きるのは、実はそんなに難度の高いことではないように思います。



