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タグ: 半生 芸人
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 お笑い芸人は、芸のとおりちゃらんぽらん? いえいえ、苦労しています。話題のお笑い芸人が、挫折、苦悩、将来への不安など、自らの半生を語ります。今回はアンジャッシュのお2人が登場。ちなみに、児嶋さんのメイクはネタ用のものです。【バックナンバーはこちら】



アンジャッシュ、コンビ結成までの軌跡

 よく練り上げられた緻密なコントで人気のアンジャッシュ。児嶋一哉(写真左)、渡部建(写真右)によるお笑いコンビだ。彼らのネタは独自性が強く、ほかにまねできる者もいない。かの立川談志をして「芸とはかくたるもの」といわしめるほどの実力派芸人だ。

 「めざせ! 会社の星」(NHK名古屋放送局)のMCも務め、若手ビジネスパーソンの生の声に触れている、アンジャッシュならではの仕事観、ビジネスパーソンに対して思うことを聞いていこう。前編では、彼らの半生についてお届けする。

――どんな子どもでしたか?

渡部 僕は野球をやっていて、いわゆるやんちゃ坊主というか、活発な子どもでしたね。

児嶋 僕はサッカーをやっていたんですけれど、結構強いチームでキャプテンなんかもやって、元気な子どもでした。

――子ども時代の夢は?

児嶋 サッカー選手になりたかったけれど、当時まだJリーグ発足まえで、プロがなかったんですよね。それでどうしたらいいんだろうって疑問はありましたが、でもやっぱり「キャプテン翼」世代なんで、サッカー選手への憧れはありましたね。

渡部 僕は野球選手はもちろんですが、電車が好きだったので、電車の運転手になりたいなんて思っていました。

――芸人になりたいと思ったのはいつごろですか?

児嶋 僕は中学生くらいのときから漠然と芸能界に入りたいなって思っていて。テレビばっかり見ていて、楽しそうだなって。それで高校のときですね、芸人になりたいってはっきり思ったのは。

――芸人になりたいという夢に向かって、どんなことをしましたか?

児嶋 いまの所属事務所のプロダクション人力舎が主宰する養成所、JCAに入りました。

――なぜJCAを選んだのですか?

児嶋 当時、東京にお笑いの養成所がなかったんですね。大阪には吉本興業のNSCという養成所がありましたが遠いし。弟子入りなんかも考えたんですけどね。タモリさんの弟子になればいいのかなって思って、タモリさんの所属する田辺エージェンシーにも行ってみたんですけど、粗相をいっぱいしちゃうだろうし……と考えている矢先に、東京にJCAができると聞いて。

 JCAに入って、1年くらい相方のいない状況だったんですが、93年、19歳のときに、高校時代の同級生で、当時大学生だった渡部を誘ってコンビを結成しました。(次ページへ続く)


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INDEX
「奇抜さ」でなく「っぽさ」で勝負し続けるアンジャッシュ 結成は「同級生コンビは成功する」の法則から【前編】
アンジャッシュ、コンビ結成までの軌跡

不遇の売れない時代。仕事がないとやる気もなくなる

結成10年目にしてやっと訪れた転機は「オンエアバトル」の優勝

個性がないことも個性にできる




著者プロフィール
大川内 麻里(オオカワウチ マリ)

1977年、福岡県生まれ。出版社勤務、編集プロダクション起業を経て、フリーランスのライター/編集者。

経営者の父を持つことから、幼いころよりビジネス書に慣れ親しみ、現在は年300冊以上を読む。『夢を実現した わたしの仕事 わたしの方法』(ダイヤモンド社)では、キャリア女性50人をインタビューし、働き方・生き方に迫った。

ビジネスバイブル3冊は『仕事で本当に大切にしたいこと』大竹美喜、『戦わない経営』浜口隆則(ともにかんき出版)、『プロフェッショナルの条件』P.F.ドラッカー(ダイヤモンド社)。

オフィシャルブログ http://okawauchimari.net/






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