前編では、鳥居みゆきの半生に迫った。後編では、彼女の発想の源や死生観、人間関係論をお届けする。
発想は絵画や映画から そのとき入れたいと思った言葉を入れる
――鳥居さんの発想の源はなんですか? 情報はどこから?
私は、お笑いからお笑いを学ぶことはないので、絵画や映画からですね。あと、ぼーっとしている空間のなかで感じることとか。
娯楽はいらないんで、家にテレビはありません。テレビって、消していても画面に自分が映るじゃないですか。あれが嫌で。鏡もそうだけれど、自分が確認できるものが嫌なんです。だから、自分が出た番組も見てないです。ニュースは新幹線の細長いティッカーで見てます。
本は読みますよ。作家は、安部公房さんが好きです。太宰さんとか芥川さんとかは、だれもが通る道なんで読んでましたし、あとは島田雅彦さんが好き。夢野久作さんとかも。
――ネタにせよ、ご著書にせよ、すごく本質的な示唆に富んだ言葉がふっと入っていますよね。あれはご自身の考えなんですか?
そうだと思います。読み返してないからわかんないんですけど、たぶんそのときずっと思っていたことを入れたかったから入れたというだけです。いつ死んでもいいように、いつ「ここまで」ってなってもいいように生きたいんです。
やりたいことがあったら、すぐ行動に移します。たとえば、いま、どろだんごをぴかぴかに磨きあげて、きれいなどろだんごを作りたいと本気で思ったら、「いいですか」っていって、すぐ行っちゃうくらい。私、すごい行動しちゃうんです。もうね、イラッとしたら、すぐ手が出ちゃう。
どん底にいる人についていって、一緒に上がりたい

――ネタでは、妊娠や片思い、夫の浮気など、女の人生の局面を描かれていることが多いように思います。ご著書でも、男の主人公は一作だけで、あとはみんな女でした。
私は、女として自分のことを見たことはないんです。だから、女芸人とかいわれるのも好きじゃないし。人は人なのに、みんな違う顔してるし、どうして男、女って、どっちかみたいにわけるんだろうって。二元論は好きだけれど、そこは違って納得してないんです。人としてだったら、私は気が向いたら終わるだけだし。
ただ、女の役のほうが考えを言葉にしやすくはあります。私が女なだけあって。だから結果として、たまたまそうなっているというだけです。
――死もよく描かれていますよね。
むかしは「死にたい、死にたい」考えていましたけど、子どものころからずっと。小学生のときに、クリシュナムルティっていう思想家の本ばかり読んでいて、一回悟った気になってしまって。それから嫌だなーと思ったら死にたい死にたいって、死のことばかり考えていたんですけど、結構そういう人っているなーと思って。
私のことを好きだっていってくれるお客さんたちのなかには、悩んでだれにもいえずにいる人がたくさんいます。でも、そういうときって、私もわかるんですけれど、明るくされるよりは、一緒についてきてくれる人のほうがいいでしょう。だから、そういうのを残そうと思って。一緒についていってやろうって。
私、そういう人、すぐわかるんです。やっぱりどん底まで一緒に下りていって、そこからちょっと上がって行こうっていう感じですね。死を確実に意識したら生を感じるんで。それをちょっとでも感じてもらえたらなって。それは単独ライブとかでも一緒です、私が残していきたいものは。(次ページへ続く)



