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 今回は、スタイリスト向け撮影用衣装レンタル業を営む塩谷純子さんのお話です。もとともとスタイリストだった塩谷さんは、「こんなお店があれば便利なのに…」という思いを形に。スタイリスト業を封印し経営に集中したことで、業績を大幅に伸ばしました。



スタイリストの経験を活かし、撮影用衣装のレンタル事業を運営

 スタイリスト向けに撮影用衣装を貸し出す事業を行う株式会社マナマナの塩谷純子さん。通算15年間スタイリストとして働いた経験を活かし、東京・青山に8店、大阪に1店、合計9店舗を展開、レンタル衣装・小物は数万点に及ぶ。また、一般消費者向けにセレクトした洋服やアクセサリーを販売するウェブ通販事業も展開している。

 塩谷さんは志(こころざし)を大切にし、会社経営をしてきた。

 「会社は経営者のためでなく、社会のために設立するものです。私たちはビジネスを通じて、会社の存在価値を実感してきました。志を高く持って自分で考えて前に出れば、確実にビジネスは動き出します。私たちは、自分たちが着たいと思えるもの、長く着ていただける洋服を扱ってきました。弊社で販売する洋服は一着10万円など、価格が高いものも多いのですが、お客様に支持されてきました。私たちの姿勢が伝わっているのでしょうか、たいへんありがたいことです」

「独立しないと食べていけない」と、フリースタイリストに

 塩谷さんは神戸で生まれ、大阪で育った。子どもの頃から本を読むこと、ピアノ、絵画、書道等、芸術に興味を持ち、自分で何かを作ることが好きだった。高校で日本画、美大で版画を学び、アーティストの生き方に憧れた。版画を描く時に参考にしたのは「anan」「流行通信」「装苑」等のファッション誌。その頃からファッション写真の世界に魅せられ、ファッションを扱う仕事に就きたいと思った。

 「東京に行けば、ファッション雑誌の仕事ができるに違いない」と雑誌を見せながら親を説得したが、反対された。自力でなんとかするしかなく、半年間アルバイトでお金を貯め、東京へ。

 上京後、ファッション業界紙を買って、掲載されている事務所に片っ端から電話をかけた。広告写真を全般的に扱う事務所から「明日から来ていい」と言われ、すぐに働き始めた。新人アシスタントとして、スタイリストの車の運転手からスタートし、広告、カタログの写真撮影現場に立ち合うなど、1年間半働いた。下積み生活は充実していたが、毎日暮らしていくことがやっとだった。

 給料は少なく、「フリーのスタイリストにならなければ食べていけない」と、独立したのは20代半ば。塩谷さんの周囲には、専門学校を卒業後すぐフリーのスタイリストになる20代前半の人も多く、独立することに抵抗はなかった。「何とかなるだろう」と思い切り、先輩スタイリストのアシスタントをすることから、仕事をスタートさせた。(次ページへ続く)





著者プロフィール
滝岡 幸子(タキオカ サチコ)

経営コンサルタント・中小企業診断士、有限会社ポテンシャル 代表取締役、『ひとり起業塾』主宰。
大手外資系コンサルティング会社を経て独立。中小企業向けの経営コンサルティング業務を中心に、新規事業開発、企業研修、講演、各種メディアでの執筆連載など多方面で活躍中。小資本、低リスクで身軽に起業するノウハウを伝える「ひとり起業塾」を主宰。著書に『図解 ひとりではじめる起業・独立』(翔泳社)、『はじめよう!移動販売』(同文舘出版)がある。






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