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 「日本型雇用の特徴の1つであった、終身雇用制度もついに崩壊…」とはよく言われることですが、本当に「ついに」なのでしょうか。どうやら30年ほど前にも、そんな話はあったようで…。



バブル期なら転職先も山ほど…と思いきや

 前回に続いて、文献から読み解く転職の歴史編です。今回は昭和50~60年代。

 昭和40年代にニクソンショック(1971年)、石油ショック(1974年)で不況になりましたが、あとから振り返ると、昭和50~60年代はまだ景気が良かったと言えるでしょう。その後、1983~1986年頃に円高不況となり、今度はバブル景気を迎えたのが昭和50~60年代です。

 ただそうは言っても、転職はまだそれほど盛んだったわけではありません。『実例80年代の転職・独立作戦』(小野憲/学習研究社/1981年)には、人材紹介会社として「人材銀行の活かし方」という章があります。

 人材銀行は、現在も「国立人材銀行」が東京や大阪など主要都市に存続しています。が、おそらく転職希望者の間ではメジャーな存在ではないでしょう。私も、前回と今回の原稿執筆のために国立国会図書館で資料を漁っていて、はじめて知りました。

 国立の人材銀行は、いわゆる中高年対策を目的としたものだけに、四〇歳以上のホワイトカラーか技術者に限る、といった条件のあることが多い。

 とあります。どうも国立の人材銀行に否定的な書き方をすると思ったら、著者は日本マンパワーの設立者でした。

 この日本マンパワーを含めた民間の人材銀行は「いちおう名の知られたところに限定」してあるリストに28社掲載されています。逆に言えば、1981年時点では主要の人材紹介会社は50社もないことを示しています。

 昭和50年(1975年)創刊のリクルート(当時は日本リクルートセンター)『就職情報』からも、転職がそこそこだったことを示しています。なお、『就職情報』は転職情報誌です。

 昭和50年6月2日創刊号には求人情報会社の掲載件数はわずか100社。作家・野坂昭如が埼玉で田植えをした話が巻頭グラビア(さすがに白黒)、その後もしばらくは転職のみならずキャリア観の記事など別の情報が多数見受けられます。もっとも、早期転職はこの頃から話としては出ていたようです。(次ページへ続く)


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INDEX
「終身雇用崩壊」は最近の話じゃないぞ! 日本の転職の歴史を振り返る【昭和50~60年代】
バブル期なら転職先も山ほど…と思いきや

7のつく年齢の前後は、転職を考えやすい

転職と同列で独立開業が注目されていた

終身雇用制度崩壊の足音が…でもそれは、勝ち組に限ったこと?




著者プロフィール
石渡 嶺司(イシワタリ レイジ)

1975年北海道札幌市生まれ。私立北嶺中・高等学校、代々木ゼミナールを経て東洋大学社会学部社会学科に入学。卒業後、派遣社員、無職、編集プロダクション勤務ののち、2003年にライターとして独立。以後、大学・教育問題や学生の就職活動などを中心に評論・執筆活動を行う。全国の大学を見学して回り、2008年現在、300校を超える。著書は『転職は1億円損をする』『最高学府はバカだらけ』のほかに、『進路図鑑2010 』(光文社ペーパーバックス)などがある。2008年11月に刊行の『就活のバカヤロー』(光文社新書)が10万部を超えたほか、過去の著作はすべて書き下ろし・黒字化していることが自慢。

「ライター石渡嶺司のブログ」

 






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