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 今回は、東京葛飾区・柴又に手作りジャム店を開いた橘和子さんのお話です。50代になり改めてセカンドライフについて考え、起業を決意。自宅横に厨房を作り、手作りジャムを売り始めました。起業の目的のひとつに、「地域に住む人達との交流を深めたい」という思いがあったそうです。



50代でセカンドライフを求め、手作りジャム屋さんを起業

 映画『男はつらいよ』フウテンの寅さんの舞台として有名な東京都葛飾区・柴又。手作りジャム屋「ママのじゃむ」は、帝釈天参道のすぐ近くにある。経営者の橘和子さんは2006年にひとり起業し、手作りジャムの販売を始めた。

 橘さんが起業をしようと思ったのは、50歳を過ぎてセカンドライフを考えたとき。「それまでは専業主婦でした。自立して社会活動もしていましたが、『経済的な自立なくして真の自立はない』という考えもありますよね。結婚してからパートにも出ていないし、自分で一銭もお金を稼いでこなかったことに気づいたのです。今までの人生の棚卸しを行い、これから自分はどのように生きたいのかを考えました。そして、『地域や人とつながって生きていきたい、まだまだ遅くない!』と思ったのです」

 27歳まで企業で一生懸命働き、それ以降25年間近く子育てに追われ専業主婦として過ごした橘さん。食と環境問題に関心を持ち、環境問題がそれほど叫ばれていない時代に専門の先生達を呼んで講演会を開くなど、生活に密着した社会活動をしていた。

 「昔は旅行先で見る田園風景は、単なるきれいな“景色”でした。年齢を重ねて食べ物に興味を持つようになり、『私たちは大地からの恵を得て育っている』『田畑は、生きていく糧を作る生き生きした場所なのだ』と実感するようになりました。気が付くと、農業が好きになり、農業とかかわっていきたいと思うようになっていました」

主婦仲間と事業アイデアを練る 付加価値の高い「ジャム」を選ぶ

 時は過ぎ、50歳を超えた頃、橘さんは起業を考え始めた。もともとは主婦4人で起業する予定だった。開業の3年前、起業塾に通って皆でいろいろな事業アイデアを考え、「いろいろな産地の物産を集めた店」「有機野菜の店」「惣菜・弁当屋」などさまざまな案が出て、ビジネスプランを練った。橘さんも料理好きで、結果的に食べることに関する事業が中心に。農家の人と協力して過ごせることも魅力だった。

 素材を売るのではなく、「付加価値をつける」ことを考えると、事業アイデアの中にあった「ジャム」に可能性を感じた。また事業リスクの低さも感じた。有機野菜を扱う八百屋となると、商品の賞味期限が短く、在庫ロスがでる確率はたいへん高い。また、弁当や惣菜を売る店は、同じ場所に集まり、毎日商品を作り続けなければならない。拘束時間も長く、自分の時間を全力投球しなければならないだろう。

 「私もいろいろな活動にかかわっていたので、事業に自分の時間を100%費やすことは難しい。ジャム屋なら朝から晩まで厨房に立つ日もあるけれど、ジャムを作らない日もある。弁当屋よりジャム屋の方が私には適していると思いました」

 いざ起業の具体的なプランを作る時になって、大きな問題が発生した。「どこに出店するか?」という話題で全員が愕然としたのだ。4人はそれぞれ違う地域に住んでいて、希望する開業地が違った。どこのエリアで起業するのか、答えが出なかった。もちろん橘さんが希望したのは、自らが住む「柴又」。住んでいる場所が遠いため、どこのエリアで起業するのか、皆が困ってしまった。

 「事業内容を具体的に考えるようになって、その事実に気がついたのです。『何かを始めよう!』ということでは全員で意気投合したのですが、実際の出店エリアが決まりませんでした」

 仲間との起業は断念せざるを得ず、橘さんはひとり起業をすることに。「まずは自分で始めて、そのうち仲間ができればいいか、という感じでした」。それから手作りジャム屋を始めるため、奔走することになる。(次ページへ続く)





著者プロフィール
滝岡 幸子(タキオカ サチコ)

経営コンサルタント・中小企業診断士、有限会社ポテンシャル 代表取締役、『ひとり起業塾』主宰。
大手外資系コンサルティング会社を経て独立。中小企業向けの経営コンサルティング業務を中心に、新規事業開発、企業研修、講演、各種メディアでの執筆連載など多方面で活躍中。小資本、低リスクで身軽に起業するノウハウを伝える「ひとり起業塾」を主宰。著書に『図解 ひとりではじめる起業・独立』(翔泳社)、『はじめよう!移動販売』(同文舘出版)がある。






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